
この記事を監修したのは
株式会社ユニバーサルスペース 代表取締役
一級建築士、一級建築施工管理技士、一級土木施工管理技士
遠藤 哉
「できれば、自分の家で最期まで暮らしたい」
これは、認知症を抱える高齢者だけでなく、多くの人に共通する願いです。
認知症を患ったとしても、住み慣れた家には大きな力があります。
長年の生活で身体が覚えている動線、見慣れた家具や風景、いつものにおいや光の入り方——それらすべてが、本人にとって「安心」をもたらす要素です。
逆に、慣れない施設や急激に変わった環境では、混乱や不安、BPSD(行動・心理症状)の悪化を引き起こすことも少なくありません。
そんな中、注目されているのが認知症の特性に配慮した介護リフォーム・住宅のバリアフリー改修です。
これは、単に段差をなくしたり手すりをつけたりするだけではなく、「その人がこれまで通り、自分らしく暮らしていける」ことを目指す環境づくりです。
「認知症と住まいの関係性」に焦点を当てながら、認知症高齢者が自宅で安全かつ安心して暮らし続けるために必要な介護リフォーム・住宅改修のポイントや具体的な事例をご紹介します。
家族や専門職の方が“その人らしさ”を大切にする住まいづくりのヒントとして、ぜひ参考にしてください。
認知症と住環境|なぜ「家」が影響するのか
社会課題としての認知症、避けられない現実
2022年、日本国内で認知症と推定された高齢者は約443万人。加えて、軽度認知障害(MCI)の高齢者は約559万人とされ、両者を合わせると高齢者のおよそ3.6人に1人が認知機能に何らかの問題を抱えている計算になります。
しかも、これは「すでに起きている現実」です。将来の推計では、2060年には認知症高齢者が約645万人、MCIが約632万人に達し、高齢者の6人に1人が認知機能障害を抱えるという社会が目前に迫っています。

こうした中で注目されているのが、住環境の整備=“家の力”を活かした支援です。単に在宅生活を可能にするだけでなく、本人の安心感や認知機能の維持、BPSD(行動・心理症状)の予防にも深く関わっているのです。
見当識障害と住環境の関係

認知症の中核症状のひとつに見当識障害があります。これは、今が何時なのか、どこにいるのか、目の前の人が誰なのかが分からなくなる症状です。
この障害が進むと、たとえ自宅にいても「ここはどこ?」「家に帰りたい」と感じてしまい、不安や混乱を招くことがあります。
しかし、長年暮らしてきた家であれば、本人が無意識に覚えている動線や、家具の配置、光の入り方といった感覚的な記憶が働きやすく、見当識を補完することができます。
つまり、「住み慣れた環境」には、言葉にできない安心感を支える力があるのです。
住環境の整備とBPSDの予防
国土技術政策総合研究所の調査によると、見当識障害のある認知症高齢者は新しい環境への適応が困難であり、混乱・興奮・徘徊などの行動・心理症状(BPSD)が出やすくなることが示されています。
これに対して、住み慣れた自宅での生活は、BPSDの発症や悪化を抑える効果があることが多くの事例からわかっています。
「ここは自分の家だ」「この椅子はいつも使っていたものだ」と思える環境が、心の安定と認知機能の維持に寄与するのです。
生活環境が変わった時に、「認知症が急激に進む」といわれることが多いのですが、その要因の大部分は環境の変化への適応が影響しています。

身体が覚えている動線の重要性
認知症が進行すると、記憶としての情報は薄れていきますが、身体が覚えている「習慣」や「動作」は比較的長く残ることが知られています。
たとえば、
- 寝室からトイレまでの移動ルート
- 毎朝座る椅子の位置
- 洗面所や電気スイッチの場所
これらが変わらず保たれていれば、本人は“考えなくても自然にできる行動”を維持できます。
しかし、大幅な模様替えやリフォームで空間が変わってしまうと、これまで培ってきた行動パターンが崩れ、「何かがおかしい」という不安感が強まり、徘徊や混乱といった行動に繋がる恐れがあります。
住環境整備の政策的背景
こうした住環境の重要性は、国の政策にも明確に位置付けられています。
厚生労働省の「認知症施策推進基本計画」では、認知症の人が「住み慣れた地域で、その人らしく暮らし続けること」を重視しており、バリアフリー化や住宅改修の支援を重要施策の一つとして掲げています。
この背景には、
- 本人の尊厳の保持
- 医療・介護費の増加抑制
- 家族や地域の支援負担の軽減
といった観点も含まれており、住まいを整えることは、本人だけでなく家族や社会全体にとってもメリットがある取り組みです。
この章では、認知症という大きな社会課題に対して、「住まい」ができることの力強さと可能性をお伝えしました。
次章では、その力をどう活かすか──具体的な住宅改修の視点と方法をご紹介します。
認知症バリアフリー改修の4つの視点|認知症の特性に寄り添う工夫
認知症のある方にとって、住環境の工夫は「暮らしやすさ」だけでなく、「安心」と「尊厳」を支える鍵になります。
ここでは、認知症高齢者の住宅改修で特に重視すべき4つの視点と具体的な工夫を紹介します。
介護保険の住宅改修に該当するものだけでなく、より幅広い視点から提案したバリアフリーの実践提案となっています。
🟡 視認性と空間のわかりやすさの確保
認知症になると、視覚的な情報処理能力が低下し、物の位置や空間の広がりが認識しづらくなります。
そのため、「見てわかる」工夫が非常に重要になります。
主な工夫例:
▶︎ 「見えているけど、認識できない」状態を防ぐことが、安心と事故予防につながります。
🟠 習慣の維持と環境変化への配慮
認知症の方は、急な環境の変化に強いストレスや混乱を覚えることがあります。
「変えすぎない」ことも立派な支援です。
主な工夫例:
▶︎ 改修は「変える」ことより、「守る」ことが重要な場面も多いのです。
🔴 注意力の低下に対応する安全配慮
認知症の進行に伴い、注意力や判断力は低下します。
たとえ本人が以前できていた動作でも、危険を察知して回避する力は確実に弱まっています。
主な工夫例:
▶︎ 「気づかない」「判断できない」ことを前提に、安全を先回りして設計することが大切です。
🟢 自立支援と介護しやすさの両立
「できることは自分でやりたい」という気持ちは、認知症になっても変わりません。できることを維持していけることが、本人の能力の維持や自尊心の維持につながります。
同時に、介護者が無理なく支援できる環境も必要です。
主な工夫例:
▶︎ 本人の「自立」と、家族の「安心」を両立できる空間づくりが理想です。
このように、認知症の特性に寄り添った住宅改修には、「安全にする」だけではなく、「わかりやすく」「変えすぎず」「助けすぎない」といった繊細な視点が求められます。
改修事例紹介|“行動”から考える介護リフォームの工夫

認知症のある方への住宅改修では、「こうすべき」というマニュアルよりも、本人の生活習慣や動作の観察からヒントを得ることが何より大切です。
本人から現在の正確な状況を聴取することが難しく、行動で再現してもらおうとしても普段の状況と違うため、正しくアセスメントすることは困難です。そのため、生活環境の中からヒントを探っていく観察力も重要になるのです。
ときに、専門家の視点から見てもまったく想定外の方法で動作していることなどもあります。しかし、よくよく観察してみると本人の状態や家屋の状況を踏まえると最適化された動作の方法だということがわかる、というパターンも実際あるのです。
高齢者のバリアフリーというと介護保険住宅改修がありますが、そこに当てはまらない介護リフォームの内容も多くあります。
ここでは、日々の介護現場で生まれた具体的かつ実用的なバリアフリー改修例をご紹介します。
事例① 暗い壁に明るい手すりを選び、夜間も安心して歩ける廊下に
【背景】
一人でトイレに向かう途中、夜間に廊下で転倒したことがある高齢の女性。
家族は「手すりをつけてあげたい」と考えたが、現場の壁が暗い色の木目調だったため、視認性に不安があった。
【改修内容】
【結果】
手すりがすぐに視認できることで、夜間のトイレ移動も自信を持って行えるように。
再び転倒することはなくなり、ご本人も「これがあると安心」と話すように。
設備としての安全性だけでなく、心理的な安心感も生まれた事例となった。
事例② 人感センサー付きの足元灯で夜間の不安を軽減
【背景】
夜間にトイレへ行こうとするも、暗がりで怖がったり、廊下で立ち止まってしまうことがあった。また、幻覚が見えることもあり、不安感を強く感じていた。
【改修内容】
【結果】
照明が自動で点灯することで、本人の「不安」が減り、トイレへの移動もスムーズに。
夜間の転倒防止にも効果を発揮しています。
事例③ 内開きのドアが介助動作を妨げていたトイレを、引き戸に変更
【背景】
ご主人(80代)の排泄介助を行う奥様から、「トイレの中で動けるスペースが狭く、無理な姿勢での介助が続いてつらい」という相談があった。
本人は認知症による失行があり、トイレ内でズボンの着脱や排泄物を流すことなど、するべき行動がわからなくなってしまうため、トイレ内での介助の必要がある。
トイレのドアは内開きで、開いたドアが室内の介助スペースを大きく塞いでしまっていた。
【改修内容】
【結果】
介助中の動きがスムーズになり、奥様の腰痛や負担が軽減。
ご主人の動作も補助しやすくなり、トイレ介助の時間も短縮された。
“本人だけでなく介助者の動線”も考えることの大切さを実感した事例。
事例④ “壁の手垢”が本人の習慣を教えてくれた
【背景】
退院に向けて、自宅に手すりをつけることに。病院のPT・OTが家屋調査に訪問し、手すりの設置場所を指示。
ただ、よく見ると、PTやOTが提案した場所とは違う場所、壁に手垢の跡がついており、いつも同じ場所に手を当てていることがわかった。
本人の動作を生かすことの重要性から、手垢の位置を目安に手すりの設置を決める。
【改修内容】
【結果】
これまでの動作を損なうことなく、手すりの使用が自然に促され、無理なく自立動作が増えた。“現場での観察”が改修のヒントになることを実感できる例。
◆ 観察から始まる、ほんとうの意味での「使いやすさ」
認知症の方の住宅改修では、「正解」を押し付けるよりも、日々の暮らしを観察して“その人らしさ”に合わせることが効果的です。
こうした小さな工夫が、本人の安心・自立・安全につながっていきます。
住み慣れた家で安心して暮らすために|バリアフリー改修を成功させる実践ポイントとこれからの視点
認知症のある方にとって、住宅改修は単なる設備の問題ではありません。
「その人らしい暮らしを守ること」「安心できる場所で過ごし続けること」を実現するための、大切な環境整備です。
ここでは、改修を成功させるための具体的なポイントと、最後に読者へのメッセージをまとめます。
① 本人の“今”に合わせて考える
認知症の進行度や生活のスタイルは人それぞれ。
「転倒が増えてきた」「トイレの位置がわからなくなった」「徘徊が始まった」など、その時の状況に応じた改修が求められます。
✔「何をできているか」「何が不安か」から始めるのが、正しいスタートラインです。
② 家族・ケアマネ・業者の連携で、目的を共有する
介護を担う家族、制度とサービスを調整するケアマネ、改修を実現する施工業者。
この3者が同じ方向を向いて計画することが、本人にとって“ちょうどいい改修”を実現する鍵です。それぞれの視点から情報を補い合うことで、安心できる生活環境に近づけることができます。
介護保険制度が使えるから、という理由で進めると、本人の能力や習慣を無視した住宅改修に陥りやすくなります。制度ありきではなく、本人を中心にしたバリアフリー提案をする必要があります。
③ 変えすぎない、守るという発想
「改修」と聞くと“今の状態を大きく変える”イメージを持つかもしれません。
しかし認知症の場合は、「変えないことで守れるもの」がたくさんあります。
- 習慣化された家具の配置
- 身体が覚えている動線
- 見慣れた風景や光の入り方
✔ 記憶よりも身体感覚や視覚的な記憶を活かすことで、生活の安定が保たれます。
◆ 工事後の“観察期間”を大切に

改修して終わりではなく、実際に暮らしてみてからの微調整がとても大切です。
特に、認知症の方の住宅改修の場合は本人から使い勝手や不具合などについて聞いても、正確な情報が帰ってこない可能性が高いためです。特に独居の場合などは、客観的な評価をすることが難しくなります。
本人が混乱していないか、違和感がないか、家族が使いやすいかなど、丁寧な見守りと柔軟な対応が成功につながります。
認知症の方の暮らしと住まいに安心を
認知症になっても、「この家なら暮らしていける」と思える環境があること。
それは、本人にとって生活を支える大きな安心感となり、家族にとっても介護に前向きに取り組む力になります。
バリアフリー改修とは、決して“家を変えること”だけではなく、
「その人らしさを守りながら、暮らしやすく整える」ことです。
今の暮らしに小さな工夫を重ねながら、
本人の尊厳を大切にした「家の力」を信じて、安心できる住まいを一緒に築いていきましょう。

この記事を監修したのは
遠藤 哉
株式会社ユニバーサルスペース 代表取締役
資格:一級建築士、一級建築施工管理技士、一級土木施工管理技士
大手ハウスメーカーを経て、2009年に株式会社ユニバーサルスペースを創業。介護リフォームに特化し、「介護リフォーム本舗」として全国100店舗超を展開している。チェーン全体での介護リフォームの累積工事件数は約120,000件を超える。